いま日本では、資本金1円で株式会社を設立できます。ところが2006年より前、 株式会社を作るには最低1000万円の資本金が必要でした。ではその規制は「昔からの伝統」 だったのかというと、そうではありません。導入されたのは平成2年(1990年)—— つまり日本の株式会社に最低資本金があったのは、歴史上たった16年ほどの期間だけなのです。 そもそも資本金とは、何のためにある制度なのか。たどっていくと、 420年前のアムステルダムで生まれた、ある「発明」に行き着きます。
1602年、オランダ東インド会社——「出資金を返さない」という発明
世界初の株式会社とされるのが、1602年に設立されたオランダ東インド会社(VOC)です。オランダの14の中小貿易会社が 統合されて生まれた組織で、資本金は約650万ギルダーにのぼったと伝わります。
画期的だったのは、その規模よりも資本の扱い方でした。 それ以前の貿易会社は「当座企業」と呼ばれ、航海の開始時に出資を募り、 船が帰ってきたら儲けも元手もすべて清算して出資者に返し、解散していました。 1回の航海ごとに会社を作っては畳む、使い捨ての器だったのです。
VOCはこれを変えました。事業の継続を前提とし、出資金を清算せず会社に据え置く恒久的な資本構造を採用したのです。出資者に返すのは利益の分配だけで、 元手そのものは会社のものであり続ける。経営は「17人会」と呼ばれる重役会が担ったとされます。
現代の会社法にも「株主は出資したお金を自由に引き出せない」という大原則がありますが、 その原型はこの1602年の「出資金を返さない」という発明に遡れます。 資本金という制度の歴史は、ここから始まりました。
そもそも資本金は何のためにあるのか——有限責任の「代償」
話を先に進める前に、資本金という制度の建前を確認しておきます。 後で出てくる「導入」と「撤廃」の意味が、これでよく分かるからです。
株式会社の株主は有限責任しか負いません。会社が倒産しても、 株主は出資したお金を失うだけで、個人の財産まで差し出す必要はない—— これが株式会社という仕組みの最大の魅力です。
しかし裏を返すと、会社にお金を貸した側(債権者)にとっては、 株主個人には請求できない以上、会社の財産だけが唯一の頼み綱になります。 会社が空っぽの財布しか持っていなかったら、貸したお金は戻ってきません。
そこで法は、会社に一定額の財産を確実に拠出させ(資本充実の原則)、 それを維持させる(資本維持の原則)ことを求めてきました。 伝統的な説明では、資本制度は「株主が有限責任という特権を得る代償として、 会社債権者を保護するための仕組み」とされてきたのです。
1720年、南海泡沫事件——資本の暴走が生んだ「会社禁止法」
VOCが資本制度の「成功物語」だとすれば、正反対の「失敗物語」もあります。 舞台は1720年のイギリス。南海会社(South Sea Company)の株価が 投機によって数か月のうちに約8倍へ高騰し、そして暴落しました。 世に言う南海泡沫事件です。
この混乱を受けてイギリス議会が制定したのが泡沫会社禁止法(Bubble Act)でした。 国王の特許状や議会の承認を得ていない会社が株式を発行することを禁止する—— つまり「勝手に会社を作って資本を集めること」自体を封じる法律です。
この規制は厳しすぎて経済成長を妨げているという判断から1825年に部分廃止され、 残りも1901年に完全廃止されます。そして部分廃止からおよそ20年後の1844年、 イギリスでは「誰でも登記すれば会社を作れる」準則主義の会社登記制度が始まりました (この転換は商業登記制度の歴史で詳しく書いています)。
資本をめぐるルールは、VOCのような成功体験だけでなく、 バブルという失敗体験からも作られてきた——「集めた資本をどう規律するか」という問いは、 株式会社の誕生とほぼ同時に始まっていたわけです。
日本への輸入——器はドイツ式、資本の仕組みはアメリカ式
1938年:ドイツから来た「簡易な株式会社」=有限会社
日本に目を移します。昭和13年(1938年)、日本は有限会社法を 公布しました(施行は1940年)。モデルはドイツが同族・小規模企業向けに発明したGmbHという会社形態で、これを「簡易な株式会社」として輸入したものとされます。
1950年:GHQ改革で資本の仕組みがアメリカ式に
戦後の昭和25年(1950年)には、GHQ主導の商法改正で、 英米法由来の授権資本制度と無額面株式が初めて導入されました。 授権資本制度とは、定款で「発行できる株式の総数」の上限だけを定めておき、 その範囲内なら取締役会の決議だけで機動的に新株を発行できる仕組みです。
それまでは増資のたびに定款変更並みの手間がかかりましたが、この改正で 資金調達のスピードが大きく変わりました。株主の地位強化やアメリカ資本の導入促進、 戦後復興期の機動的な資金調達といった狙いがあったと解説されています。
つまり日本の資本制度は、器(有限会社)はドイツからの輸入、 資本の仕組み(授権資本)はアメリカからの輸入という折衷でできています。 各国の制度がどう違うかは国際比較の記事でも取り上げましたが、その源流は戦前・戦後のこの二段階の輸入にありました。
意外な事実——「最低資本金」が生まれたのは平成2年(1990年)
ここで本記事のいちばん意外な事実です。日本の株式会社に最低資本金という 規制が初めて導入されたのは、平成2年(1990年)の商法改正(施行は平成3年4月1日)でした。それ以前、日本の株式会社には 最低資本金の定めが一切なかったのです。
1990年改正は、株式会社に1000万円、有限会社に300万円(それまでの10万円から引き上げたとされます)という一律の最低資本金を設けました。 背景には、資本金が極端に少ないペーパーカンパニー的な会社設立が問題視されていた ことがあったとされています。まさにセクション冒頭で見た「債権者保護」の建前の実装です。
既存の会社がいきなり基準を満たせなくなると困るため、 5年間の経過措置(猶予期間)も設けられました。明治から続く商法の歴史の中で見れば、 最低資本金はかなり新しい、平成に入ってからの規制だったのです。
資本金と隣接する制度にも、この時期大きな変化がありました。2001年10月の商法改正まで、 日本の株式には額面(20円・50円・500円・50,000円の4種類)があり、「額面株式」と呼ばれていました。 時価発行増資が主流になり、額面が株価と誤解されかねないことなどから廃止され、 現在はすべて無額面株式です。「資本金=額面×株式数」という素朴なイメージは、 この時点ですでに過去のものになっています。
2003年、1円起業解禁——「5年間限定」の実験
ところが導入からわずか十数年後、日本は逆方向へ動き出します。2003年、中小企業挑戦支援法が成立し、新たに会社を設立する場合に限り、5年間の時限措置として最低資本金規制の特例(いわゆる「確認会社」制度)が 設けられました。この特例のもとでは、資本金は極論すれば1円でもよい—— 「1円起業」という言葉の直接の起点はここです。
背景にあったのは危機感です。日本はアメリカと比べて起業(特にベンチャー)の数が少なく、 廃業のほうが起業より多い状態が続いていました。「1000万円の壁」が 挑戦の入口をふさいでいるのではないか、という問題意識です。
効果は数字にも表れました。制度導入直後の2003年10月末時点で、 特例による会社設立は8,393件、そのうち文字通り資本金1円の 「1円起業」は344件だったとされます。 あわせて、出資金が実際に金融機関にあることを証明する「保管証明書」も不要になりました。
「5年間限定」の時限措置として始まった制度がその後どうなるか——収入印紙の歴史では「4年間限定の税が177年続いた」という話を書きましたが、 こちらの時限措置は、まったく別の形で決着します。
2006年、新会社法——最低資本金は「恒久的に」消えた
2005年に成立し2006年5月に施行された会社法で、 最低資本金制度は時限的な特例としてではなく、恒久的に廃止されました。 期限を気にせず資本金1円で株式会社を設立できる現在の状態は、ここから続いています。
注目すべきは撤廃の理屈です。有力だったのは、最低資本金が持つはずだった「債権者保護機能」に実効性がないという批判でした。 設立時に1000万円あったことは、いま会社にお金があることを何ら保証しない。 債権者にとって重要なのは設立時の資本金額ではなく、その後の財務状況だ——という考え方です。
1602年のVOC以来、資本制度の建前であり続けた「債権者保護のための最低限の緩衝材」 という理屈が、2006年には「機能していない」と正面から否定されたことになります。 制度の存在理由そのものが覆った、大きな転換点でした。
同じ2006年会社法では、有限会社制度が株式会社に統合され(既存の有限会社は 「特例有限会社」として存続)、他方でアメリカのLLCをモデルにした合同会社が 新設されました。合同会社も最低資本金はなく、1円・出資者1名から設立できます。 2006年は「資本金の下限をなくした年」であると同時に、 「もっと軽い会社の器を追加した年」でもあったのです。
世界の現在地——丸ごと撤廃した日本、別枠を作ったドイツ
では、資本金の下限規制をめぐる各国の現在地はどうなっているでしょうか。
| 国・会社形態 | 最低資本金 |
|---|---|
| 日本(株式会社・合同会社) | なし(1円から設立可能) |
| イギリス(Private Limited Company) | 実質なし(1ポンドから設立可能とされる) |
| ドイツ(GmbH) | 25,000ユーロ(登記時に半額の払込が必要) |
| ドイツ(UG/2008年新設の簡易版) | 1ユーロから可能 |
興味深いのはドイツです。GmbHの最低資本金25,000ユーロという「原則」は今も維持しつつ、 2008年にUG(haftungsbeschränkt)という「1ユーロから作れる簡易GmbH」を 別枠で新設して現実に対応しました。
制度そのものを丸ごと撤廃した日本と、規制は残しつつ抜け道を公式に用意したドイツ。 同じ「1円起業を可能にする」という結論でも、たどった道はまるで違います。 原則を書き換える国と、例外を積み増す国——制度改革の国民性が出るところかもしれません。
現代——資本金は「参入障壁」から「1億円の区分線」へ
最低資本金が消えた現在、資本金の額は「会社を作れるかどうか」の基準ではなくなりました。 代わりに大きな意味を持っているのが、税制上の区分線としての役割です。
資本金1億円以下の法人は税務上「中小法人」として扱われ、 法人税率の軽減(所得800万円以下の部分は23.2%ではなく15%)、外形標準課税の対象除外、 交際費の損金算入枠の拡大など、複数の優遇措置の対象になります。
変更登記の世界でも同じ線が引かれています。役員変更登記の登録免許税は、 資本金1億円以下の会社なら1万円、1億円超なら3万円。 変更登記メーカーの役員変更系フォームで税額を選ぶ場面があるのは、この区分のためです。
なぜ「1億円」なのか——実は、この金額が選ばれた明確な単一の由来は判然としません。 法人税や登録免許税など複数の異なる法律で、切りのいい同じ数字が閾値として 使われている、というのが実情のようです。
線を引けば、線をかいくぐる動きが生まれます。資本金1億円以下でも、 資本金5億円以上の大法人に100%支配されている子会社は、中小企業向け優遇税制の対象から 除外されます。大企業が資本金の小さい子会社を作って優遇を受ける租税回避を防ぐため、 「1億円」の線の後ろに、さらに「5億円」という別の閾値で穴をふさいだ形です。
まとめ——420年の振り子
資本金という制度がたどった道のりを、年表にまとめます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1602年 | オランダ東インド会社設立。「出資金を返さない」恒久的な資本構造を発明 |
| 1720年 | 南海泡沫事件。泡沫会社禁止法で「勝手に資本を集めること」自体が禁止に |
| 1938年 | 日本が有限会社法を公布。ドイツのGmbHを「簡易な株式会社」として輸入 |
| 1950年 | GHQ主導の商法改正で、アメリカ式の授権資本制度・無額面株式を導入 |
| 1990年 | 日本初の最低資本金制度。株式会社1000万円・有限会社300万円 |
| 2003年 | 中小企業挑戦支援法。5年間限定の特例で「1円起業」が解禁 |
| 2006年 | 会社法施行。最低資本金を恒久的に撤廃、合同会社を新設 |
| 現在 | 資本金は参入障壁ではなく、税制・登録免許税の「1億円の区分線」として機能 |
出資金を返さないという発明から始まり、バブルの反省で縛られ、 債権者保護の名のもとに下限が設けられ、その下限が「機能していない」と否定されて消える—— 資本金の歴史は、規制と自由のあいだを行き来する420年の振り子でした。
そして現在の日本で資本金の額がいちばん現実的な意味を持つのは、 会社を作るときではなく、税額の区分を判定するとき。 登記申請書の「登録免許税」の欄に書く金額も、その末端のひとつです。
申請書・議事録・株主リスト、そして収入印紙台紙まで、変更登記に必要な書類をブラウザ入力だけでPDF出力できます。無料・登録不要。
→ 役員全員重任の書類を作成する
→ 定款変更(商号・目的変更)の書類を作成する
よくある質問
Q. 本当に資本金1円で株式会社を作れるのですか?
はい。2006年施行の会社法で最低資本金制度が恒久的に廃止されたため、 法律上は資本金1円で株式会社を設立できます(合同会社も同様です)。
ただし資本金の額は登記事項として公開され、誰でも確認できる情報です。 取引先や金融機関からの見え方、当面の運転資金といった実務面を踏まえて、 事業に必要な額を設定するのが一般的です。
Q. なぜ最低資本金制度は廃止されたのですか?
最低資本金が担うはずだった「債権者保護機能」に実効性がない、 という批判が有力だったとされます。設立時に1000万円を払い込んだ事実は、 現在の会社にお金があることを保証しないためです。
あわせて、起業を促進したい政策的な要請もありました。2003年の「5年間限定」の 特例(確認会社制度)で先行的に規制を外し、2006年の会社法で恒久化した、という流れです。
Q. 資本金1億円以下だと、登記や税金で何が変わりますか?
役員変更登記の登録免許税は、資本金1億円以下なら1万円、1億円超なら3万円です。 税務上も1億円以下の法人は「中小法人」として、法人税率の軽減や外形標準課税の対象除外 などの優遇を受けられます。
なお「1億円」という金額の歴史的な由来は判然とせず、複数の法律で同じ切りのいい数字が 閾値として使われているのが実情のようです。また、資本金5億円以上の大法人の100%子会社は、 1億円以下でも優遇税制の対象外となります。
Q. 資本金の額を変えたときも変更登記が必要ですか?
必要です。資本金の額は登記事項なので、増資や減資をした場合は変更登記を申請します (増資は募集株式の発行等、減資は債権者保護手続きを伴う別の手続きです)。
変更登記メーカーは現在、役員変更・定款変更(商号・目的)・本店移転などの 書類作成に対応しています。資本金の額の変更登記そのものは対応外ですが、 役員変更などとあわせて必要になる書類の作成にはそのままお使いいただけます。
出典:Wikipedia「オランダ東インド会社」「南海泡沫事件」「泡沫会社禁止法」「有限会社」、 中小企業庁による中小企業挑戦支援法(新事業創出促進法改正)関連の公表資料、 国税庁タックスアンサー(中小法人の法人税率の特例・登録免許税)、 平成2年商法改正・平成17年会社法制定に関する各種解説記事。 VOCの資本金額や1990年改正の立法背景など一部の記述は一般向け解説に基づく概説です。 本記事は2026年8月時点の情報に基づきます。


